霜柱一つ立ちません。温い日の間に溶けた雪が眞つ黒な板となつて甲鐵のやうな道を覆ひます。晝日中室内に居る人の鼻や口から絶えず煙草を吹かす人のやうに白い煙が出て居ます。東京ならば寒い戸外を急いで歩く時皮膚の表面は如何に冷くとも體内に抵抗力が潛んでゐて、室内乃至風の來ない日向に來れば反動として温かく感ずると言ふことがあります。相川ではさう言ふ樂しい豫想は全然ないのです。私のやうに酒の飮めない人間に取つては入浴と山登以外に體を温める方法はないのです。
 その湯がまた有難くない湯です。湯屋の數は町不相應に澤山ありますが最近に警察から命ぜられたとかで一軒例外の家が出來ましたが、それまでは全部湯屋湯屋で一日交代に立てるのです。午後三時から立つのですが、夜行くと湯船の底に臭い生温の水が膝つきりしかないのです。上がり湯は既に水になつてゐます。女湯と男湯とはすぐと上の方まで、もつとも天井は低いのですが、全然別に仕切られてゐます。湯氣がもうもうと籠もつて暗い電燈を包むのです。湯船もながしも石とコンクリイトです。湯垢が窪み窪みに溜つてぬるぬるして居ます。その上に板つぺらが投出してある。その板に尻を乘せてふちの
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