、屡々齊彬公に謁し意見を陳述す。六月公疾あり、閏七月世子虎壽丸夭折す、呪詛或は毒殺の風説あり。翁は樺山三圓・有村俊齋等と大に憤慨す。此書牘は其當時在藩の同志に寄せたるものなり。福島矢三太は翁が大久保・有村の諸士と伊東猛右衞門に從うて陽明學を修めし同志の一人なり。早く歿したるを以て名を成すに及ばざりき。
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東湖震死の報
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杖とも柱とも・何事も此れ限り
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一筆啓上仕候。時下寒氣相|募《つのり》申候處、御一同樣先以御機嫌能御暮被[#レ]爲[#レ]遊候由、幸賀之至り此事に奉[#二]存上[#一]候。隨而私事無異消光仕居候間、乍[#レ]恐左樣御安心可[#レ]被[#レ]成候。扨而《さて》此の二日の大地震は前古|未曾有《みぞう》にて、御同樣杖とも又柱とも頼《たより》に致居候水戸の藤田戸田之兩雄も搖打《ゆりうち》に被[#レ]逢、黄泉《よみぢ》の客と被[#レ]成候始末、如何にも痛烈之至り、何事も此ぎりと旦暮《あけくれ》愀悒《しういう》嗟嘆《さたん》相極め居候、御深察可[#レ]被[#レ]下候。不[#二]取敢[#一]御急報申上
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