にあったので、その事を、此の顔を合わせた機会に一応口にしてみようと考えたのです。所が、私が客室に行きますと、幸か不幸か今一人の客、綿井氏が便所にでも行ったものと見え、いないのです。で、つい周囲に気兼ねもなく、秀岡にひらき直って話し出したのでしたが、秀岡は案の定、私の昂奮をせせら嗤《わら》うのみで、ろくに相手にもなろうとしないのです。そんな事がつい、私の気持を煽り、脅迫めいた事を言わせる事になったのです」
「ハンマアで撲《なぐ》り殺すぞと言ったのか?」
「違います。――其麼あく迄我々に対して悪魔のような態度をとるなら、こちらも悪魔になってやる。幸い貴方は血圧が高いし、心臓が弱いから、機を四千米ばかりに上げて、貴方を高空病にかからせて命を取ってやる、と脅かしたのです。そこへ便所から綿井氏が出て来たので、私は操縦席へ帰ったのです」
 ――三枝の答弁には淀みが無かった。然しその供述を立証する何等の証左も無い事は、如何とも出来なかった。係官一同は、錯綜した事件の外貌から、出来得る限りの真意を掴み取ろうと考え、次のような可能的な仮説を作り上げてみた。
 A 綿井が加害者である場合
 彼は商業不振より自殺を決心したものの、機上に於て同乗客の鞄中に大金のあるのを知り、三枝が秀岡を脅迫した事実あるを幸い、自身が兇行を演じて大金を奪い、自分は予定通り自殺を装って飛行機から飛び降りたが、落下傘に就ての知識が薄かったので、遂に惨死した(然しこの場合、不審な事は、その屍体が金を携帯していなかった事である)。
 B 三枝が加害者である場合
 三枝は綿井の自殺後秀岡を撲殺した。又は秀岡を撲殺後、綿井をも機上からつき落した。ただしこの場合も金の行方は不明。
 C 池内が加害者である場合
 厳密に言えば、Cの場合は考えられないかも知れない。何故となれば、池内と被害者とは全然|関聯点《かんれんてん》のない人達だから。尤も金が目的と言えば理由は出来るが、池内が若し犯罪に関係しているとすれば、彼は三枝の補助者であるか、共謀者であるかである。
 然し、警察が斯うして事件を探求しているうちに、求めに応じて各地からかかって来た長距離電話は、完全に池内操縦士のアリバイを確立させて了いつつあった。そして結局池内は、事件に就て、或いは精神的に関係者であったかも知れないにしても、直接な加害者ではない、と言う事を確認され
前へ 次へ
全12ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
大庭 武年 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング