#「のち」に傍点]に志ん生は私に語った)。ようするに『寄席』という私の小説を主に、これら明治大正の噺家世界の愉しいエピソードを従に、まさしく志ん生の話術は時として講談であり時として落語であり時として人情噺であり、同時にそれらのいずれでもないひとつの新世界を開拓してみせてくれたのだった。骨折り甲斐のあった仕事だったといっていい。
「御難をして熱海の贔屓《ひいき》を頼っていく一節などいかにも実感があって志ん生の自叙伝を聴く思いがあった」
と安藤鶴夫君はその日の批評に書かれたが、ほんとうにそのとおりだった。
「もはや一流人である同君がこうした野心作品を示し、しかも相当の効果をあげたことに脱帽したい」
私自身も、同じ頃あるところへこう書いた。
今夏彼が発表した「圓朝」についてはそのうちあらためて書くつもりなので、ここでは言わない。ただ原作にないいい物語が時々用意されていて、それがそれぞれ私をして書きたい欲望を起こさしめるに足るほどの話だったことなど、特筆しておいてよかろうと思う。
鴨下画伯の言われる「奇想天外」の味は、「町内の若い衆」にある、「寝床」にある、「強情灸」にある、「らく
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