紙の類いを数多く並べてうっていた世にも佗びしい姿だった。都々逸ひとつ歌っては「ひとつやることが学問のある仁はちがう」とうそぶいていたくせに、じつは新聞一枚満足に読めなかったそうな太郎は、その代わり高座でもよく稚拙な絵の曲描きはやっていた、下座に「夕ぐれ」などを弾かせて。今まさにその稚拙画を色紙に短冊にぬったくって往年の日本太郎は、道ゆく人々にわずかにそれを沾ってはいたのだった。
[#ここから2字下げ]
いささかの未練はのこれ 野悟となる 身のはての何を思はむ
[#ここで字下げ終わり]
 かつてわが師、吉井勇はこの詠あったが、その時の私も殷鑑《いんかん》遠からず、今|目先《まなさき》にある日本太郎の姿こそ、やがてくるべき日の自分自身であるかのごとくしきりに考えられてならなかった。そういううちも出演料のことでもめている割看板女史のことを考えるとまた新しい憤りさえ含《こ》み上げてきて、すぐまた私はビリケンをさそい、傍らの飲み屋へ入っていった。一時間、酒が切れると、すぐ手がふるえ、舌が痺れる、よるべないその頃のアル中の私、重ねて言うが、明日の知れない、人生いとも暗澹《あんたん》のその頃の「私」
前へ 次へ
全52ページ中50ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 容 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング