なかった。かくて私の「青春」はすべて暗黒だったと今にしてハッキリと言いきれる。
 かくてまた五年の歳月経ち申候――昭和五年。
 その、初夏のある朝、これももう亡くなった小奇術《こづま》の巧かった弄珠子ビリケンと、私は名古屋の大須観音境内を、中っ腹の朝酒でブラブラしていた。いよいよ自棄に身を持ち崩していたその時の私は、もう噺家の真似事をしていて、新守座の特選会へ出ていたのだったが、その時|卜《ぼく》していた世帯が少しもおもしろいことはなく、しかも未見のうちから密かに会見を楽んでやってきた今度私と新守座へ割看板の、その頃新橋教坊の出身で、新舞踊をよくする人とは会談どころか出演料のことで二日目から正面衝突をしてしまい、よりどころなき憤満を、折がらの朝酒に紛らわせてはいたのだった。
 たまたまそこへ皮肉にももうその頃新国劇へ転じていたかつての婚約者たりし宝塚の女優さんの名の入った近日びらの、市中至るところ、薫風にひるがえっていたことも、いよいよ私にはいけなかった。日夜の乱酔へ、そういっても拍車をかけずにはおかなかった。しかもその時ハッと我が酔眼に映じたものは、かの日本太郎その人が、路上、短冊色
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