だったのだった。
でも、人生のことはわからない。
それからまた十一年の歳月が相経ち申候の時、なんと私はその新守座へ割看板で出演し、即日、確執を生じてしまった人と結ばれて夫婦になった。すなわち今の女房である。
私と同じくのざらしとなるかと危まれた日本太郎も、花街にあった娘に良縁があり、どうやらいっぱしの楽隠居になって老後安楽でいるとか、あるいはもうめでたく一生をおわったとか聞いている。わが身に引きくらべてもこの畸人《きじん》の晩年だけは、安らかなれと祈りたい心持ちでいっぱいである。
それにしても再び言うが日本太郎、何が動機でああいう大べら棒な芸を演るようになり、また数奇な一生を経たのだろう。そのうち左楽老人にでも、とっくりと聴いて見たいと思っている。よほど、小説的な前半生があるのかもしれない。
さて宝塚から新国劇へと転じたかつての婚約者には十日ほど前、街上、ゆくりなくもめぐりあった。私より二つ年上だったから四十三歳になるのだろうその人は、近頃あまりいい精神生活ではないのだろう、小肥りなくせにへんに佗びしくなってしまっていて、自ら勢い立っていたあの頃のおもかげは見るよしもなく、
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