ら団扇のことにして、
「花鳥を描いた団扇でも、たいていなら三銭五厘か四銭ぐらいで買えますが、これが俳優《やくしゃ》の似顔でも描いてあツて御覧《ごろう》じろう、六銭や七銭はいたします(中略)我々落語社会の顔なんぞ描いたものなんざアありゃアしません。もっともないことはない、いつぞや小勝《わたくし》が牛込の夜見世を素見《ひやか》したら、あッたから見ると、団扇は団扇だが渋団扇でげす、落語家がすててこを踊ッている絵が描いてあるから、いくらだと聴きましたら、値段《ねだん》がわずかに八厘、その傍にまた何にも描いてない団扇がありましたから聴きますとこの団扇も八厘、してみると絵の描いてあるのも、描いてないのも同じことで、誠にどうも落語家ほどつまらんものはございません(下略)」
まさしくこの間の小勝のは、このまくら[#「まくら」に傍点]の単刀直入な換骨奪胎だったのである。それにしてもあのヌケヌケとした小勝にして、己れに「小勝」をなのった以上はよしやまくら[#「まくら」に傍点]のはし[#「はし」に傍点]にしてもこうして先代の何かを継承しようと腐心していたことを思えば、伊藤痴遊氏もかつて憤っていられたごとく
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