この頃の人たちのただ何でも襲名さえすればいいというのとちがって、さすがに昔の芸人の心持ちといったようなものをゆかしく感じないわけにはゆかない。かくてこそまた芸人の襲名ということにも、伝統の花の香ほろほろと滲みあふれてもこようというものではないか。
 ちなみに、狸の小勝。大柄の、でっぷりとした男で、噺はそうたいして上手ではなかったそうな。風貌、狸に似たりとて、この仇名があった。
 今の伊志井寛君、舞踊家の石井美代さんの厳父である。
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    日本太郎

 さっき[#「さっき」に傍点]の知人の手紙にもあった日本太郎はどうしたろう。恐らくもう死んでしまったろう。日本太郎には、わが青春の明暗二つの思い出が絡まっている。少しおもはゆいが今日はそれを書いてみよう。
 太郎は矮小ないと[#「いと」に傍点]貧弱な壮士風な男で、お釜帽子をかぶり、懐中から紙の雪を取り出してちらし、ピストルを射ち、捕縄を振り廻し、刑事と怪盗の大捕物よろしくの独劇をやった。また風音で慌しくことあり気に現れて来てあたりを見廻し、
「高い山から谷底見れば、瓜や茄子《なすび》の……」
 ここまで棒読みのように言って
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