ずってくれと言われ箪笥の奥から姉が嫁してきた時の『部屋見舞』(関西では色や形とりどりの大きい饅頭を作る)松竹梅や高砂の尉《じょう》と姥《うば》、日の出、鶴亀、鯛等で今でも布袋《ほてい》が白餡で、鯛が黒餡であったことを覚えている。僕は子供の時、間食は焼き芋と果物だけであとは皆キライで食わなかった。鶴枝はちょっとあの感じである」云々。
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    狸の小勝

 死んだ小勝がしばらく名声隆々としだしてきた頃、「今戸焼」などのまくらで、羽子板には人気役者の二人立ちてのがよくあるが、役者ばかしやらないでたま[#「たま」に傍点]には小さん、小勝の二人立ちでもこしらえるといい、もっともこの間、あったけれど、それは渋団扇だった、よくこうしたくすぐり[#「くすぐり」に傍点]を振っていた。
 あの男の独創かと思っていたら、明治三十二年十二月号「文芸倶楽部」には先々代小勝(この間の人のように三升家《みますや》ではなく、三升亭《さんしょうてい》を名のっていた。さらに初代の小勝は江戸時代であるが、声色《こわいろ》に長じ、尾上小勝であったと聞く)の「山号寺号」が載っていてそのまくらに、これははじめか
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