両方やってもくどくはありますまい。若い衆をまず芝居がかりで脅かし、また、旦那とかみあう時に同様の手口であるのはどういうものでしょう。芝居口調はやっぱりあとの場合だけ小せん流の「忠信利平」で願いたかった。それにしてもその旦那のヌッと顔をみせるところ水際立ったできだったと思います。若い衆とのやりとりでいっぺん表へ出て行ってしまい、またかえってくるのは狂馬楽あたりにある「型」でしょうか。もちろん、こうやっても差し支えないと思いますが本人の工夫かどうか、三笑亭に訊いてみてください。それから相変わらずさしみだの蛤鍋だの鰻だの(鰻の匂ってくる午下りの女郎屋の景色も巧かった)品川らしい食べ物ばかり並べられ、結構でしたがこの前の時言ったあら煮が抜けた。あれはぜひ加えさせたい、品川という道具立てのために。お引けになった佐平次のところへ友だちが訊ねてゆくところはこの前同様、まことに迫真です。佐平次の長広舌(何回か繰り返す)で「当家へ福の神が」云々は何回も繰り返したが「日の暮れになると坂の上から綱っ引きの車が四台」(故正蔵は自動車でしたが)は一回しか言わなかった。あれは情景の点でもおかし味の点でも、必ず繰り
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