『らくだ』は、一度、紅梅亭の客薄き夏の夜に聴きたるのみなりしが、あの人独自の、おかしくもたあいなき口吻《こうふん》、天下の珍にて、
『へへ、へえ、ほ、ほたら、やら、やらさせて、もらいま……』
 と、あわてふためいてはいでてゆく屑買いの物腰に、我ら、噴飯爆笑を重ねぬ。
 ――他に上方にては桂圓枝、この噺を十八番となす。紙屑屋の次第次第に酒の廻りて、果てはならずもの[#「ならずもの」に傍点]にくってかかる時、顔面蒼白に見えし「芸」の力、今に忘れず。当代松鶴のはいまだ聴かざれど重量感ありて佳ならんと思う。
 東都にては三笑亭可楽、三遊亭圓生、もっぱら、これを喋《しゃべ》れど、可楽の「らくだ」はかのならずもの[#「ならずもの」に傍点]なる兄弟分、あまりに調子を張らざるため、全体の噺の感じ、か弱く平板にすぐるをいかんせん。
 圓生のは、いつも折あしく、聴く機なし』

 こんなことを書いてから早いもので、もう八年の月日がそこに経ってしまった。世の中も私も変わったが、噺家の世界もまた変わってしまった。デブの圓生なんか、とうとういっぺんも「らくだ」を聴かないうちに死んでしまった。なぜ贔屓だったこの人の
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