ざる以前の紙屑屋が述懐には市井落魄の生活苦滲みていみじく、後段、落合の火葬場へらくだの死骸を運ぶくだりにては、
『田圃だと思えば畑、畑だと思うと田圃という、いやな道だ。すると、そこに土橋がある……』
 に、江戸末年の高田、落合風景|泛《うか》びて、まことにこの描写、凡手ならずと今に嘆称するのところなり。たまたま花袋がこのあたりの描写にもほぼ同様の一文ありけれ。
 耳癈《みみし》いて狂死せる朝寝房むらく[#「むらく」に傍点]も、酔いどれの噺は一種いいがたきおかし味あり、ことにはかの折々『ふあーッ』と絶叫せる奇声妙音、また大正末年の寄席風物詩に一異彩たりしが、このむらく[#「むらく」に傍点]も『らくだ』は得意の演題にて、この人のはむしろ後段におもしろき箇所、数多《あまた》ありたり。
 まず、らくだの死骸を背負いし紙屑屋、高田辺りの質屋を叩き起こして、この死骸を質入れさせよ、しからずんば某《なにがし》かよこせよといたぶるの一齣《ひとこま》あり。
 また、らくだの死骸を街上へ振り落とすに、三代目小さんの手口は、彼ら両名大トラのため、いつとはなしに落としてしまうものなりしかどむらく[#「むらく」
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