て、関西落語の中堅なりしも、その芸風は淡々と手堅く、あてこみのなき高座なりけり。

 小文枝没して数年の今日この頃、その得意とせる「三十石」レコードを聞けば、冒頭、船頭のぼやきわめける一節に曰く、
「この頃は岡蒸気にばかり、我も我もと乗りゃあがってこつとら[#「こつとら」に傍点]は風呂屋の煙突を見たかてむかつくのや。ケム[#「ケム」に傍点]の出たるもの見たら、ムカムカムカムカしてかなわんがな」云々。

 ――これ小文枝の独創なるや、前代名人の創作なるや、元より知らねど、明治初年の三十石風景、まざまざ見えて歴史の匂いいと愉しからずや。
 亡小文枝を、何かにつけてこの頃せつに回想する所以のものかくのごとし。
[#改ページ]

    「らくだ」

 かつて私は「らくだ」について、左の一文をしたためたことがある。
「三代目小さんが『らくだ』は、京師の名人桂文吾写しのきわめつけなりしが、実体なる紙屑屋のしだいに杯一杯と酔い募りゆくあたり、思い出すだに至宝なりけり。
『うちへ帰れば餓鬼が四人もありやして、ヘイ……毎朝、飯《めし》ン時なんぞは飯粒だらけの中でおまんまを食べるんで』
 と、いまだ酔わ
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