すいたお方が日にやける
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というのがあった。
水死した橘之助がよく歌ったが、こんな唄にも、江戸っ子と木更津っ子との、かりそめでない交遊のほどが感じられる。
いや、圓遊の話が飛んだところへ外れてしまった。
まだまだ、圓遊には、愉快な逸話がいろいろあるけれど、それらは、あまり、書いてしまうと小説の方の材料にさしつかえるので、勝手ながら芸惜しみをさせてもらう。
圓遊の速記を見ると、異人館、ヒンヘット、馬駆(競馬)、奈良の水害、自転車競争、権妻二等親、甘泉、リキュール、フラン毛布、西洋料理と、明治開化の種々相が、皮相ではあるが、南京玉をちりばめたように、惜しげもなく、随所に満ちあふれ、ふりこぼれている、あたかも黙阿弥のざんぎりものの、仕出しのセリフを見るように――。今にして圓遊は、清親描くの貼り交ぜ屏風であったのだと考えられる。
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先代市馬
庭の無花果《いちじく》の葉を、朝に晩に採っては、煎じて、飲んでいる。
宿痾《しゅくあ》の痔疾には無花果の葉が、何よりよいとて、先代柳亭市馬が、かねがねこれを採り用いていたと、噺家たちから聞
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