の夕の小寒い灯が、ここでも、何がなし、あたしの瞳にいぶかしく、映ったことを記憶《おぼ》えている」
 さらにそれから三、四年してまた私は、あるところへこのように橘之助について、書いたこともある。
 そうしてまだまだこのほかにも橘之助自身から数奇な自伝の一節を、いろいろさまざまに私は聞かされている。たとえば彰義隊の戦《いくさ》の時の話や、神戸へ行く蒸気船のなかで水銀を呑まされた話や、同じくその船の中で幼少から男装していたため異人の少女にひとかたならず恋された話や、それらはすべて三遊派の宗家藤浦富太郎氏の参与していられた雑誌「鈴の音」へ、立花家橘之助その人の名で、年少の日の私が稚拙の筆を駆り立てて多分一、二回連載で書かせてもらっている。元よりその雑誌、もう私自身も持っているよしもないのであるが――。
 それにしても橘之助、あれほどの一種の女傑でありながら色ざんげらしいことは毛ほども喋ろうとしなかった。まだこっちがてんで子供だったせい[#「せい」に傍点]もあろうが、前掲した博文公との話でもかつて石谷華堤さんに話したら公との情話らしく扱われて[#「公との情話らしく扱われて」に傍点]まことに困った
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