の旧東京には、まだ昼席にふさわしい、旧《ふる》びた木づくりと、ちょっと小意気で古風な庭とをもったいろもの[#「いろもの」に傍点]の寄席があった。――新石町の立花なんぞは、そういっても、夜席より、昼間がよかった。あのだだ長く薄暗い寄席の片すみ、万惣《まんそう》の果物をかぞえる声が、荷揚げの唄のように何ともいえず、哀しくひびいてくるのを背にしながら、守宮《やもり》のように板戸に倚《よ》りかかって聞いている時、いつも世の中は、時雨ふる日の、さびしく、つつましい曇天だった――。冬の日の独演会の四席めには、そぞろ、高座が暗くなって、故人圓蔵のうら長い顔が、みいら[#「みいら」に傍点]のように黒くなった。私は、ひとしお、ひしと火桶を身に引き寄せては「野瀬の黒札、寄席の引き札、湯やの半札」と、可笑しき「安産」のとりあげ婆が、果てしなき札づくしを、そんな時、何にも換えがたく聞き入るのだった。そういえば、研究会の創立十六年記念演芸会(その時の番組はまだ手元にある! 大正九年四月の第四日曜で、圓蔵の「百人坊主」に山帰来《さんきらい》の実が紅かった。小圓朝がほんとの盲かと思われるほど、さびしい「心眼」を一席
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