」の「儿」に代えて「且」、第4水準2−15−45]子《しどみ》が、金盞花《きんせんか》が、モヤモヤとした香煙の中に、早春らしく綻びて微笑《わら》っていた。また文弥君が、最前の短歌を繰り返し繰り返し、朗詠しだした。

 そのあと、近くの明月園で心ばかりの午餐を食べてもらった。寄せ書きをして、吉井先生、久保田さんへ送った。
 席上、貞山がこんな話をした。
 年の暮れ、この頃山の宿にいた馬楽のところへ行ったら「加藤清正蔚山に籠る」と書いてくれと言う。よしよしとそう書いてやったら、その次へ「谷干城熊本城へ籠る」と書いてくれと言う。また書いてやったら、今度はそのあとへ「本間弥太郎当家の二階へ籠る」と自分で書き、堂々と玄関へ貼り出した。そうしてそれを大家に見せて談じ込み(いったいどんな談じ方をしたのだろう!)とうとう家賃を負けさせてしまった、と。いかにも「古袷秋刀魚にあわす顔もなし」と詠んだこの男らしくておもしろい。
 左楽はまたこんな話をした。
 初音屋と呼ばれた人情噺の柳朝(春風亭・三代目)と馬楽と自分と三人でひと晩遊びに行ったが、その頃のお歯黒溝に沿った家々にはみな跳橋《はねばし》というもの
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