うほう》が続々もたらされてくる年の暮ぎりぎり、病後の私は「近世浪曲史」六百枚の最後の項を急いでいた。
たまたま年代その他のことで服部伸君の示教を得なければならないことが起こったので、近くの大塚鈴本の楽屋を訪れた。服部君の高座から下りてくるまで、楽屋で私は待っていた。左楽老人がいる。紙切りの正楽がいる、故柳枝(春風亭・七代目)門下の目の悪い若い前座がいる。
「何しろ日本の爆撃機が戦闘機を追い駆けていくってじゃありませんか、あなた」
火鉢へ手をかざしながら正楽は、
「ソそんなあなた、それじゃ鼠が猫を追い駆けているようなもんでさ、ねえ」
「……強い……何にしても強い……」
嘆ずるように左楽老人が口を開いた。昔、乃木将軍の幕僚として日露の役に走《は》せ参じ帰って来てから軍服で高座へ押し上がり、「突貫」や「凱旋」という時局落語に一躍人気者となってしまったこの人。「乃木さん」もしじゅう演っていたが――。いつまでも丈夫ではあるが、めっきり年とともに色が黒くなり、シミだらけになってしまったこの老勇士の顔を、しみじみと私は見つめた。
「年の暮れでこの寒さで、この戦争で、だのにこんなにお客様がやって
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