噺の数が少ないと、よく言われた。そうしてこの私自身もまた、そう信じていた。少なくとも五、六年前までは。
が、そののち私はこの人の修業法を親しく相見るに及んで、ようやくそうした非難の認識不足もはなはだしいことを悟るに至った。
くどくも言うとおり、文楽の「芸」の歩みは、歩一歩。あくまでナンドリと、ネットリと、永い永い星霜の下、一つの噺を掘り下げ、磨き、艶出しをして、そうしてこれならばいいと得心のいったところで、はじめて次の「噺」へと第二の鍬を掘り入れていくのである。
従って空に、他所目で見ている時、わずかまどろっこし[#「まどろっこし」に傍点]い感じがされるけれど、この人、六十歳、七十歳にまでなった時、その上演種目の、意外におびただしき数にのぼっているに、人、驚きの目を瞠《みは》る、必ずやその時があるだろう。私は、それを固く信じて疑わないとともに、それだけにまた我が文楽の自愛、自重、加餐《かさん》を、切に切に衷心から祈って止まないものである。
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大東亜戦大勝利の夜の寄席
プリンス・オブ・ウェールズが沈み、香港が陥ち、そこかしこの海戦にはめざましい捷報《しょ
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