名のいたずらに存しながら「名人」の実の容易に現れざる所以《ゆえん》である。
しかるに、だ。現下東西落語界を通じて我が桂文楽は、まさしくそうした何十年にいっぺんという、尊いまたとない存在である。巨匠圓馬病みて以来ほんとうにもう彼以外の何人に、これを求めることができよう。
この人の「鰻の幇間《たいこ》」に大正初年の旧東京のあぶら照りする街々の姿をば呼吸できる人、「花瓶」のお国者の侍がしびん片手に得意満面、馬喰町《ばくろちょう》辺りの旅籠さして戻り行く後ろ姿に舂《うすづ》いている暮春の夕日の光を見てとれる人、さては「馬のす」の釣竿しらべている主のたたずまいに軒低く天井暗かりし震災以前の東京の町家の気配をさながらに目に泛《うか》べられる人。
それらの人たちはことごとく、前述のこの人への私の言葉の過褒《かほう》にあらざることを、即座に首肯してくれるだろう。
しかも、この文楽、今に永遠の青年としての不断の情熱を、研究心を、もち続けている。
現に「富久」「馬のす」「花瓶」など、ついこの間、研究初演したばかりだし、引き続き「芝浜」「九州吹戻し」と一つ一つ年月をかけて、己のレパートリィを増や
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