代のそれとちがって、もはや新世紀のカーキ色なることが大正味感が感じられていい。近頃、さらにその行軍から想いついて、マラソン競走を同じ段どりでみせている。まだ兵隊ほどこなれないが、いだてん[#「いだてん」に傍点]の合方をひかせてやるのなど、いよいよ大正風景で愉快である。なんとも奇妙千万なのは、扇面で顔をかくして、いやらしい蝸牛《かたつむり》の顔つきを見せるのがある。あれは北斎漫画でも見ているようにもの[#「もの」に傍点]あやしい。
 だが総じて百面相は下座で、旧時代な楽隊の合方なんぞを思いもかけず、ひきだしてくれたりする時が明治情調で一番私は愉悦をおぼえる。
 ただ一つ、ここに特記しておきたいのは福圓遊だ。あの男の百面相ほど、まずい、智恵のない、しかし好感のものはない。瓜生岩子の銅像や、喇叭《ラッパ》ぶし高らかに村長さんの吉原見物や、みんな今は時代とあまりにも縁なき衆生! の風物詩ばかりを、飽きずにいつもとことこ[#「とことこ」に傍点]とやっている、身装のほどもお粗末で、だが、気をつけて見てやるがいい。世の中に福圓遊の百面相ほど、たまらなくやるせないものはない。私はいつも世の中から棄《す
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