などをうたわれると、哀切で、古風で、いかにも遠い日の浪華の世相が考えさせられる……。
 尺八の扇遊(立花家)が喨々《りょうりょう》と吹く都々逸に、初秋の夜の明るい寄席で涙をこぼした頃は、あたしもまだ若い、二十一、二の恋の日だった。が――今でもあの人の尺八に言いがたなき悲哀味が、ことに都々逸を吹く時いっそうに強く滲み出ているように思う。
 おしまいに、寄席の、噺家の都々逸は、あまり美声でなく、どこかとぼけていて、やはり昔ながらに「和合人」式の手合いがのんでとろとろ[#「とろとろ」に傍点]言いながら歌い廻す、その空気のまざまざとでているのを至上とし、また、とこしえにそうあるべきだと信じます。
 そのイミで、春風柳のような、よほど高踏な小唄を一つずつ聞かせでもするかのように、ただ、都々逸ばかり立てつづけに歌って、
「さあ、そちらの大将いかがです」
「よッ、心得た。では……」
 てな、あの華やかな味の会話の全然オミットされている都々逸などは、音曲師としては下の下です。
 そこでやはり、前記の小半治、訛れどもおかしく――と、今は、この両名だけになるのでしょう。
 それからはげ亀、〔バンカラ〕辰三
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