ちばなやみよしや》さんです。あのポツリポツリ一句一句を噛んで吐き出す歌いぶりは、およそ風格的で、まず橘之助の歌いようをげさくな味感にでっちたものでともに至宝だと感嘆される。
噺家では三代目小さんが結構でしたが、志ん生になって死んだ馬生(金原亭・六代目)もよかった。のど[#「のど」に傍点]も富本のやれる人で渋かったが、あの歌い調子で「三人旅」など、
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※[#歌記号、1−3−28]別れてそののちたよりがないが
心変わりがもしやまた
たまたま会うのに東が白む
日の出に日延べがしてみたい
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と――こうした文句を地でしゃべる味が何としても忘れられません。
――あの頃の人では最近まで残っていた音曲師は万橘《まんきつ》爺さんでしょう。さすがに枯れていてうれしかったが、でも、万橘は都々逸以外の音曲――たとえば「ゼヒトモ」や「桜へー」や「桑名の殿さま」に全面目があると思う。昨今では当代のかしくが哀愁的ですが、訛りのあるのが惜しいことです。ずぼら[#「ずぼら」に傍点]を慎めば小半治がかなりのものなのに。
大阪では、先代の千橘(立花家)が懐かしま
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