災前では、先代の文《ふみ》の家《や》かしく、あの蟹のようにワイ雑な顔で、いつもきまって十年一日しゃっくり[#「しゃっくり」に傍点]のまじる都々逸ばかりやりました。――※[#歌記号、1−3−28]浅利、蛤やれ待て蜆、さざえのことから角を出し――というのが絶品だったといいますが、そういう文句や節廻しの記憶はなく、やはり、しゃっくりばかり。あとは、むしろ「蟹と海鼠《なまこ》」のとっちりとん[#「とっちりとん」に傍点]が、あの顔にピッタリとしていて結構だったと覚えています。
歌六だの圓太郎だの鯉《り》かんだの、その鯉かんはよく鶯茶の羽織をぞろりと着て、
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※[#歌記号、1−3−28]手に手つくしたおもとが枯れて
ちょっとさした柳に芽が吹いた
[#ここで字下げ終わり]
と歌った。それと、もうひとつ、上を忘れて残念だが、下は「芝の神明で苦労する……」というのでした。江戸前の文句にて忘れません。
あの仁は風貌とこしらえ[#「こしらえ」に傍点]が江戸末期的の感じで、それが都々逸とあいまっていい「侠《いなせ》」を感じることがありました。
絶品は何といっても橘家三好爺《た
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