の品川の圓蔵のも聴いたし、※[#歌記号、1−3−28]たまたま逢うのに東が白む、日の出に日延べがしてみたい――と渋い調子でこう諷う。志ん生も巧い。若いところで甲の強い馬に乗るのを圓楽もやる。お灯明の今の馬楽、「朝蠅」の正蔵。
 だが、つまるところ、いくたびか聴かされたこの文楽の「とろろん」が一番よかった。一番、近代味が無是候。そうして一番旅だった。江戸人の旅のこころだった。まこと、「三人旅」の情懐を一番よく知っていたのは、この文楽のやまとではなかったろうかと思っている。
 そのやまとが、ついに高座に影をしまったのだ。私としていかんともいっぺんの感懐なき能わず。泣いてやってもよかろうと思う。
 今夜あたり、高座でも沸る鉄瓶の白い煙が、人知れず嗚咽しているこったろう。南無桂才賀頓生菩薩!


     百面相異聞

 湊家小亀といえば、暮春の空に凌雲閣の赤煉瓦、燦爛《さんらん》と映えたりし頃、関東節と「累身《しじみ》売り」の新内をいや光る金歯の奥に諷い、浅草のあけくれに一時はさわがれし太神楽の、そののち睦派の寄席にも現れ、そこばくの人気を得しも、一人舞台の熱演にすぎ、あれはばち[#「ばち」
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