いうことは、すこし、寄席入りに浮身をやつしている人ならかつて訪れた城下町の記憶を見るように、たいていがもっている心持ちだろう。現に、昔読んだ孤蝶さんの随筆では、禽語楼小さん(二代目)のことだか、圓喬のことだか、もう、今の私には記憶がうすいが、とにかくある名人の追憶に「しかし自分はこの男をわずか五、六度、しかも同じ仇討の話を、とびとびに聞いた限りだ」という風のことが書いてあった。それだけの記憶で、しかも馬場さんは、その男を、りっぱな芸だと、世にもはっきり讃《ほ》めていた。私のやまと、またしかりだ。
やまとは「富士詣」などという、やはり、江戸人の軽い旅情を扱かった噺も巧かったというが、前、言う通り「とろろん」だけの私には、なんともいい得ようはずがない。
「とろろん」のまくらで誰もがやるが、火の見櫓へよびかけて訊くところがある。「火事は、どこだーい」と訊いて「吉原」というとすぐに駆け出し、「葛西砂むら」と返事があると「寝ちまえー」と怒鳴る。あすこがいかにもめもけ[#「めもけ」に傍点]に高い夜の櫓を想わせた。あの火事のまくらは圓右より私には巧かったように考えられる。
話へ入ってからは、例の
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