れから死んでいったのだ)。
 私が、やまとを聞いては感心していたのは、されば、まだ、文楽の時分だった。――勝栗のように頭が禿《は》げて、声が江戸前に渋く嗄《か》れて、鼻唄ひとつが千両だった。江戸もん[#「もん」に傍点]同士がひどく気さくで、御代は太平|五風十雨《ごふうじゅうう》で、なんともいえず、嬉しかった。私は、「俳諧亭句楽」の中の蛇の茂兵衛という小唄師をさえ、よく、彼を聞けば、考えさせられた。
 だが、それならば、私はそんなにしげしげ彼を聞いたかといえば、そうじゃない。うちに隠れては昼席入りをしていた、少年の日のどんたく[#「どんたく」に傍点]に、あるいは、庭のかなしくなつかしかった暮春の若竹で、あるいは、瓦斯の灯のよるべなく青い、どこか、もう忘れてしまった町の夜席で、――そんなところで数えるほど、それも決まって「三人旅」の「とろろん」だった。同じ話を数えるほど。ただ、その「数えるほど」でありながら、なぜかそれが死ぬほど、私には愛好された。文楽は、ぼくの大好きだった品川の圓蔵(橘家・四代目)以上に、めずらしい、軽い、日傘のような、噺家ぶりであるよ! とさえ想われたのである。
 こう
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