に右手を高くあげたやぞう[#「やぞう」に傍点]をこしらえて――といったような段どりよろしく諷い始める、めちゃめちゃに文句の錯乱した「梅にも春」や「かっぽれ」は、聞きこめばこむほどいいものである。――「くやみ」で、あるいはラジウムを説き、あるいは野菜ものの相場に至り、女房ののろけ[#「のろけ」に傍点]を言って帰ってゆく、そのとりどりの嘘でない可笑しさ!
「輜重輸卒《しじゅうりんそつ》[#「輜重輸卒《しじゅうりんそつ》」はママ]」で、あの「ふ、ふ、ふあーっ」と世にも奇矯な声を随所に張りあげて、「電信柱に花が咲く」を朗々誦めば、
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紅い夕日の照る阪で
我れと泣くよな喇叭《ラッパ》ぶし――
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 と白秋の陶酔したかつての日の東京さえが、深紅にまざまざと映像する?
 が、何といっても、むらくの一番ありがたいのは、あの「ふ、ふ、ふ、ふあーっ」と、会話のなかで与太郎や生酔が随所に突拍子もなく叫ぶあの味である。「ふ、ふ、ふ、ふ、ふあーっ」と声を張り上げていって、あげくに、「ぎゅっ」といったような、まるで、卵を踏みつぶしたような音響をさせるあの味である。――爆
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