の」に傍点]哀れが加わるだけでも、ほんとうにいいことだと想われる。
 しかし、くれぐれも昼席は、四季を通してほのかに曇った午後でありたい。あんまりギラギラとしたお天気の時ではことに夏など、寄席を出てからやるせなさすぎる! 昼席は、そこでお天気がよかったら、
「今日あまり、晴天につき、残念ながら、休席!」
 ということにしたら、どうだ※[#感嘆符三つ、76−5] 呵々。

     むらく

 朝寝房むらくは柳昇である。毛筆で描いた、明治の文学冊子における、小川未明氏[#「小川未明氏」に傍点]が肖像の如き、坊主頭の今のむらくは、つい、先の日の柳昇である。――私は、この人を、今の東京の噺家の中で、それも老人大家たちの中で、かなり、高きに買っている。得がたき人だと思っている。
 今の世の、さても客べら棒は、むらくが出ると「酔っぱらい」とのみ注文するし、当人も、近頃人気のなくなったせいか[#「せいか」に傍点]、たいてい「酔っぱらい」ばかりでごまかしては下りてゆくが、その「酔っぱらい」にしても! だ。あの調子っ外れで、いやにはにかみ屋で、妙にきちんと両手を膝にのせて、諷《うた》う時決まって不自然
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