階から、仰いだ広重の空の色も、私は今に忘れられない。――宮松の庭には、拓榴があった、そうして、その頃、花が開いた。――大阪から笑福亭松鶴(四代目)がきて「植木屋の娘」というのをやった。小さんが「猫久」を「お前の魂を拝んでるんだ」より、あとを続けて、しかし一向につまらなかった。いやそれよりも、圓蔵が昔噺は「夏の医者」で、麦わら大蛇の可笑しさよ!
 ――ほんとうに、昼席の、やるせない薄ら明かりほど、夏といわず、秋といわず、冬といわず、しみじみと都会の哀しみを知らせてくれるものはない。
 震後絶えて久しき昼席を、それでも、今年辺りからまたぽつぽつと始めたらしい。つい、この間も人形町の末広で、燕路《えんじ》の会というのがあった。「白木屋」や「山崎屋」や物真似や、梅にも春の芸者二十四刻の踊りを、まだ若い燕路(柳亭・四代目)は器用にやった。葭町の美しい人たちが、花のようにいっぱい集まって、私は久方で昼席のしじまのよさに涙ぐんだ。――と、相次いで立花に「稽古会」なるものが起こされると、私は、あすこのあるじから耳にした。――こうして昼席が相次いで起こってゆくのは、また、一つ、都会によきものの[#「もの
前へ 次へ
全52ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 容 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング