まだしらないけれど、こんなに巧い噺ってものが世の中にはあるのかしら。宿酔《ふつかよい》らしい熊さんの青白い顔も、実体らしいお神さんの顔も、無邪気で人を喰ってる子供の顔も、みんなそこにいるよう活き活きとして見えてくる。いや顔ばかりじゃない、そこの家の中の様子までが、ハッキリ目に映ってくるようである。大へんな芸を持っている師匠だ。何だか身体中の汚れたものがすっかり掃除されつくしてしまったあとのような爽々しさを、小圓太はおぼえた。
 つくづくいい師匠をとったとおもわないわけにはゆかなかった。
「御苦労さまで」というのをつい忘れてしまっていたくらい小圓太は、ボーッとなって聞き惚れていた。
 その晩、かえってくると師匠はからすみ[#「からすみ」に傍点]だの、海鼠腸《このわた》だの、鶫《つぐみ》の焼いたのだの、贅沢なものばかりいい塗りの膳の上へ並べて晩酌をはじめた。お神さんは風邪気だとてすぐ寝てしまったけれど、師匠はいつ迄も盃を重ねていた。南泉寺の和尚さまのお給仕たあ、わけ[#「わけ」に傍点]がちがう。見るから美味しそうなものを召し上がっておいでなすってて、お給仕してても心持がいいや。再び二年前の
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