なった稼業の、高座へ上がるとどうしてまだなかなかに達者なものだった。一段と渋くなった声音が、大津絵やとっちりとん[#「とっちりとん」に傍点]や甚句に昔ながらの定連を喜ばした、しかもそうした定連たちは枯淡な圓太郎の音曲を懐しむとともに、その忰である圓朝の花やかな道具噺の、新しい贔屓ともなった。お客は増えるばかり、人気は上がるばかり。うそもかくしもないところ文楽の真打《とり》席へ働かせてもらっているとき、
「もうでてしまったかえ圓朝」
こういって聴きにくるお客がひと晩に五人や十人は、必ずあるようになった。
ああ、ありがたい。
その日その日というものに、ほんとうにいま圓朝は生甲斐を感じだしていた。
四
「三遊亭圓太」という看板が、だしぬけに二月の下席《しもせき》、浅草阿倍川の寿亭という寄席へ揚げられた。鳴物入り道具ばなしと肩へ書かれてある定式幕、縁《ふち》とりの辻びらを見て、圓朝はオヤッと目を疑った。
いつ誰がなったのだろう、圓太に。
圓太とは初代古今亭志ん生の前名。到底きのうきょう出来星の落語家の付けられる名前じゃなかった。いわんや、その傍らにスケ三遊亭圓生と師匠
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