吉は経文を伏せてしまった。妄念を払うがごとく、欄間を見た。
張りめぐらされている赤地錦へ、蜿々として金龍が一匹|蟠《わだかま》り、それが朝風に戦《おのの》いていた。
「……」
その唐風の暖簾《のれん》のようなものの一番端に、吹抜亭さんへ、ひいきより――という文字を、アリアリと幻に見た。
「いけない」
ハッと次郎吉は眼を閉じた。
やがて、ひらいた。
目を逸らすように天井を見た。
貧乏寺でもさすがにこればかりは金色《こんじき》燦爛《さんらん》とした天蓋が、大藤の花の垂るるがごとく咲き垂れていた。
その天蓋に、今度は高座の上から吊されているあの八間《はちけん》の灯を感じた。
いけない。
またまた次郎吉はしばらく目を閉じた。
そして、ひらいた。
慈愛を含《こ》めている正面の阿弥陀さまのお姿が、その左右のあかあかと燃えている大蝋燭が、次郎吉のようなお寺嫌いのものにも目に入ってきた。
「観自在菩薩、深般若波羅蜜多……」
ここぞとお経文に頼ろうとした。
……が甲斐なかった、二本の大蝋燭はたちまち高座のそれにそっくり見え、もったいないが鎮座まします阿弥陀さまは、親父の圓太郎が
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