は金銀や――経師屋化して人形屋か大道具師の仕事場もかくやとばかりだった。
 羅《うすもの》ひとつになって圓朝は、この間内《あいだうち》から貼りかえたいろいろさまざまの障子のような小障子のようなものへ、河岸の景色を、藪畳を、廓《よしわら》を、大広間を、侘住居《わびずまい》を、野遠見《のとおみ》を、浪幕を、かつて習い覚えた絵心をたよりに、次から次へと描き上げていった。
 次から次といっても、もちろん、そう短兵急《たんぺいきゅう》にはゆかない。これもやっぱり乾きを待って(雨でもつづくと何とそのまた乾きが遅かった!)次々と塗り上げてゆくのでなければならなかった。三日で上がるのも、五日で上がるのもあった。十日かかってまだ出来上がらないものもあった。
 全部の景色がすっかり仕上がってしまったのはかれこれ、八月。もう裏のすみだ川の水のいろが、めっきり秋らしく澄みだしていた。
 あくる日から圓朝の家は三たび態《さま》を変えて、今度は花やかな三味線の音締《ねじめ》が絶えず聞かれるようになった。大太鼓、小太鼓、ドラ、つけ[#「つけ」に傍点]や拍子木の音も面白可笑しく聞こえてきた。
 三味線のほうは下座のお
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