れには久し振りでしみじみと聴かせて貰った文楽師匠――宮志多亭のときとは段違いに芸が大きく美しく花ひらいていた。
もちろん、あの時分とて決して拙い芸ではなく仇な江戸前の話し口だったが、遠慮なくいわせて貰えるなら、やや線が細過ぎて江戸前は江戸前でも煙草入れとしてのおもしろさというところだった。
それが今度は見違えるほど芸の幅が広く立派になっていた。それには何ともいえない明るいこぼるるばかりの色気というか、愛嬌というか、触らば落ちん風情が馥郁《ふくいく》と滲み溢れてきていた。かてて加えて人情噺でありながら急所々々のほかはことごとく愉しく、明るくまた可笑しく明朗ひといろで塗り潰されていて、そこに少しでも理に積んだものがなかった。
「ウーム」
声を放って感嘆した、圓朝は。
この人に比べるとうち[#「うち」に傍点]の師匠圓生は決して拙い人ではないが、万事が理詰めで陰々と暗い、寂しい。だからどことなく聴いていて肩が凝る。
もし絵の具の色にたとえていうなら、うち[#「うち」に傍点]の師匠のは青か藍だろう。
このごろ一部下司なお客様たちに喜ばれるいたずらに悪騒々しい手合をさしずめ赤とするなら
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