てしまうものが少なくなかった。
そうした二つ目としての生活条件だけでもいい加減苦しいところへ、いまの圓朝は阿母《おふくろ》一人かかえて食べさせていかなければならなかった。旅へいったきりどうしてしまったろう父親の圓太郎は、いまだにたよりもよこさなければ、もちろん仕送りひとつしてくるでもなかった。圓朝の稼ぎだけではとても足りないので、母のおすみが他人様の縫針仕事をして僅かに暮らしを支えていた。もちろん切通しの家もとうに畳んで、七軒町の裏長屋へ引き移ってしまっている始末だった。
まだその上に、ここのところ圓生を宗家とする三遊派というものが、なぜかてんで[#「てんで」に傍点]その道での人気が目に見えてなくなってきていた。
初代圓生が山遊亭猿松と洒落た亭号を名乗った昔はいざしらず、この仲間の習いとして猿の字を忌み、「三遊亭圓生」と改めて以来《このかた》も、古今亭新生、金原亭《きんげんてい》馬生、司馬龍生、三升亭小勝と名人上手は続々とあらわれいで、ついほんのこの間まで三遊派の大いなる流れは随分滔々と派を唱えていたのに。
どうだろう、それが近ごろ。
いまの二代目の代になって、新生さん、馬生
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