真打が、お前《めえ》の」
「よかったねえ、ほんとうに」
 眉に喜びのいろを見せて双親が微笑めば、
「師匠おめでとうございます」
「ヘイ、おめでとうございます」
「おめでとうございます」
 口々に弟子たちも祝儀を述べた。道具噺以来、もう萬朝のほかに、勢朝、圓三と増えていた圓朝門下だった。
 逸早く母のおすみは縁喜棚へ、お燈明を上げた。カチカチ萬朝が切火を掛けた。でもいくらやってもその切火、まるで火がでないとおもったらなんの萬朝、火打石の代りにシッカリ拳ほどのお供えを握ってはいるのだった。お供えからは火がでやしないや。
「うち[#「うち」に傍点]じゃ阿父さんと萬朝と二人、そそっかし屋[#「そそっかし屋」に傍点]がいるから」
 口へ手を当てておすみは笑った。
 晴れやかな笑い声をあとに、手土産片手に圓朝は家をでた。獅子舞の笛太鼓がしきりにそこここに路次路次から流れていた。

 久し振りでのぼってきた山手《のて》の街々、いい塩梅に師匠圓生は在宅だった。しかもおっかなびっくり[#「おっかなびっくり」に傍点]で訪ねていったのが、思いのほかに機嫌がよかった。
「エ、久保本、お前が下席を。ああいいともいいとも、そりゃめでたい、助《す》けて上げるとも! 安心おし」
 恐る恐るスケ一件を切り出すと案ずるより生むが易し、言下にこう快諾してくれた。
「ありがとうございます師匠。何分お願い申し上げます」
 ホッと肩の荷の下りる思い。畳へ額をすれすれ[#「すれすれ」に傍点]にして礼をいった。
 ま、いいじゃないか、ゆっくり遊んでおいで――と珍しくたいそうな御機嫌で引き留められるのを昼席がありますからと断って表へでた。
 いかにものどかな午後の日の中の山茶花垣のひとつづきを歩きながら圓朝は、こうトントン拍子にいくようでは、いよいよこから[#「こから」はママ]自分の運は拓けていくかな。
 うれしくそうおもわないわけにはゆかなかった。
 と、見ると一番まとも[#「まとも」に傍点]に日を浴びている傍らの枯芝の上へござをひろげて、みるから人の好さそうな爺さんが赤い、黄色い、また薄青い唐辛子を干していた。ふっと圓朝はこのごろめっきり愚に返ってしまった父圓太郎の上をおもった。頭上で鳶がトロロと輪を描いている……。

 ……やがて久保本の初日がきた。

「困った」
 圓朝は真っ青になってしまった。その初日の晩の楽屋だった。ニコニコ愛敬たっぷりに上がっていった師匠の圓生が、なんと今夜最終に圓朝自身鳴物や道具を遣って演るはずの「小烏丸」をそっくりそのまま丸ごかしに素噺《すばなし》として喋ってしまったからだった。
 地味な話し口とはいえ、素噺とはいえ、老練の圓生。きのうきょう出来星の圓朝の腕前なんか、爪の先へも及ぶべくなかった。
 ハッと吐胸を突かれたときはもう遅く、あれよあれよといううちにとんとんと噺は運ばれ、やがてアッサリ落《さげ》まで付けられてしまった。
 もちろん、ひと方ならない受けようだった。
「ハイお先へ。しっかりおやりよ」
 下りてくるとニコリと笑ってそのまま師匠は、すましてかえっていってしまった。
「ああ、どうも、これはとんだことになってしまった」
 いても立ってもいられなくて、頭をかかえて圓朝は考え込んでしまった。急に道具を取りにやるといっても、青山から代地まで。しょせんが今夜の役には立たなかった。
 とするといま持ってきている道具で演るより仕方がない。しかしそのいま持ってきている道具は、あくまで最前師匠が演ってしまった「小烏丸」以外には通用しないものだった。
 さりとてまさかに、まさに歴然と演ってしまった「小烏丸」を二度と繰り返すことはできない。
「どうしたらいいだろう全く」
 ギッチリ詰まった中入りの客席、しきりにお茶売っている声すら耳に入らなかったほど、立ったり坐ったり、またその辺を意味なく歩き廻ったりしていた。
 怨めしいほど早く中入りの時刻は過ぎた。
 容赦なく片シャギリの囃子が鳴らされ、歌六という背の高い音曲師がヌーッと上がっていった。賑やかにお座づをつけはじめた。
 この人が終ったら、あとはもう泣いても笑ってもこの私だ。
「ああ、ほんとうにもうどうしよう」
 いっそ圓朝は泣きたくさえなってきた。でも泣いたとて、喚いたとて、しょせんははじまらないことだった。そういううちも時刻は刻一刻と迫ってきていた。
 何とかしなければ……。せっかくの自分の初看板がめちゃめちゃになってしまう。
「ままよ――」
 苦し紛れの一策として「小烏丸」によく似た筋を、突嗟に圓朝はでっち上げ[#「でっち上げ」に傍点]た。これなら何とか今夜持ってきたこの道具を、鳴物を、そのまま活かすことができよう。
 そう心を定めたらさすがにいくらか胸の動悸がしずまってきた。でもこんな噺、あ
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