辰婆さんの詰めっきりで、鳴物一切は萬朝が一生懸命、かかりっきり[#「かかりっきり」に傍点]になってやっているのだった。
その合方に乗って圓朝の、あるいは高く、あるいは低く、あるいは男の、あるいは女の、台詞《せりふ》めいた声音が聞こえてきた。
誰の声《こわ》いろも使えないらしく、誰の口跡《こうせき》にも似ていなかったけれど、芝居の台詞《せりふ》であることはすぐ分った。
これがひと月ふた月とつづいた。
やがて十一月――。
ようやく圓朝は前人未踏の鳴物噺というものを、高座へのせた。
高座の後ろ一面の浅黄幕。
オヤッとお客が、目を瞠《みは》っているところへスーッとでてきてスラスラと普通の人情噺を喋っていく。
やがて噺が最高潮に達してきたとおぼしきとき、ちょんと浅黄を振り落とす。歌舞伎めかしてお約束の書割が、派手に美しく飾られている。
再びお客が目を瞠るとき、にわかに圓朝は芝居仕立の台詞となる。
台拍子、宮神楽、双盤《そうばん》、駅路、山颪《やまおろし》、浪音、そこへ噺の模様に従って適当にこれらの鳴物があしらわれていく。
その目新しさ、花々しさ。
そういってもこの気の利いた趣向。
「ウ、こりゃあいい」
「猿若町まで行かねえでも手近の寄席で、芝居見ている了見になれらあ」
口々にお客は賞めそやした。
大江戸へ日に三千両落ちる金は、一に魚河岸、二に花街として、三は三座の芝居街と定められていた時代、それほど芝居というものがハッキリ市民憧憬渇仰の王座たりし時代、この圓朝が芝居仕立の試みはたしかに時代の要求にピッタリはまった。
果然――。
二日目は初晩より、三日目はまた二日目の晩より、目に見えてお客が増えていった。ことごとくそれが熱狂した。
大看板は別として、同じくらいの落語家は、ちょいと圓朝の鳴物噺のあとへはとっ付けないまでに喜ばれた。
お湯屋……髪結床……水茶屋……そこかしこで、圓朝の鳴物噺の噂がでていた。身振り可笑しくその真似をして女子たちを笑わせているお客を、湯屋の二階で見かけることも一再ではないようになった。
評判また評判。
二十一歳の春。
ついに待望の日がそこにおとずれてきた。
二
青山南町の久保本という中流の寄席だったが、そこから一月の下席《しもせき》、圓朝の道具噺を真打《とり》にして打ってみたいという交渉があった。
「…………」
圓朝の喜びは文字通り筆紙に尽せなかった。はるばる山手《のて》からその交渉にきてくれた瘠せた下足番の爺さんへ、心の中で手を合わせたくらいだった。よちよちかえっていく爺さんのこけた背中の辺りからは、キラキラ後光が映《さ》しているようにすらおもわれた。
青山南町なら、例の赤坂の宮志多亭へほんのひとまたぎであることも妙にうれしかった。
雷隠居だってきっとこの私の看板を見るにちがいない。
ただひとつ問題は寄席のほうから、スケを師匠の二代目圓生にぜひねがいたいと註文されたことだった。
「…………」
ハタと圓朝は困ってしまった。
まさか現在の師匠を只今不首尾になっておりますとはいえなかった。
第一先方としても、まだ脂《やに》っこいこの自分に真打《とり》をとらせてくれる以上は、せめて師匠くらいのところを助《す》けさせなければ看板|面《づら》花やかに客が呼べないものとおもっているくらいのことは、圓朝といえどもよウく分り過ぎるほど分っていた。
だけにいっそう辛かった。
よろしゅうございます。真打の取りたい一心でこう容易《たやす》く引き受けてはしまったものの、このごろ何かにつけて自分に当りの烈しい師匠圓生。
果而《はたして》ウムといってくれるだろうか。
考えると心細かった。
誰がお前なんかにと、剣もホロロに横に首《かぶり》を振られてしまうのじゃなかろうか。
もし振られてしまったら、何としよう。
「…………」
しばらく圓朝はとつおいつ[#「とつおいつ」に傍点]した。
どういつまで思いを巡らしていたとても、この心の循環小数はどこへ落ち着こうすべ[#「すべ」に傍点]もなかった。いたずらなどうどう[#「どうどう」に傍点]めぐりを繰り返しているばかりだった。
「エエ仕方がない、当って砕けろ、ぶつかってみよう、そうして小向かいで膝を抱いて話してみよう。それでいけないッたらまたそのときはそのときのことだ」
万々一、最悪のときは文楽師匠にすがってみてもいいとおもった。
「ねえ皆《みんな》喜んでおくれ、いよいよお正月の下席から青山久保本で私の真打だ。多分もうハッキリと定《き》まるだろう」
覚悟が定まると、にわかに心が浮き立ってきてさっそく外出着《よそゆき》に着換えて出掛けるとき、たまたま来合わせていた双親に、弟子たちに、明るく圓朝はこういった。
「エ、
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