るが見えるし、同じく山上の花見は場面で颯と吹来る一陣の怪風を主人公が袖で除けるあたりの迫真さ、「面打源五郎」の母が釣瓶の水を浴びる手付きも単なる桶ではなく、立派に釣瓶桶を活写してゐる。まことに春団治は伯鶴の至芸に比していい。加ふるに、伯鶴の方は講談としての大家であるから最早あのトラツクやシユウマイは廃してもらひ度いが、春団治の方はあの荒唐無稽さと本格さと、両々相俟つてその艶を、光りを強めてゐたものとおもふ。しかも今日、伯鶴の中にチラと漂ふ本格さに言及する人もなく、春団治が示してゐた本格の面の素晴らしさを、論ふ人もない。「上方ばなし」と云ふ笑福亭松鶴が五十号近く発行した研究雑誌など見ても、上方落語通の殆んどから邪道扱ひをされてゐる。それもいいとして、その対象に小勝あたりを本格の名人として挙げてゐるのを見ると笑止でならない。(小勝などはいつの間にかあんなえらい人になつてしまつたが、描写も何もできず、脂つこく、他愛なく馬鹿々々しかつたところにこそ、むしろ好感のもてる[#「好感のもてる」に傍点]ものがあつた。結局は小説でなく、雑文だつたのだ)
ところで小勝の名人視されたことは全くの世の中の色
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