盲からであるが、世の中と云ふものは渋い色彩の表現を持つものなら容易に名人たることを分つてやり、派手な色彩の表現をする人には、人気者以上の讃称を与へないよくない傾向があり度がる。世に、鳶いろ朽葉いろ檳欖いろの名人あるなら、紅いろ緋いろ橙いろの名人も亦あつてよからうではないか。春団治などは紅いろの表現であつたゝめ名人と認められなかつた犠牲者の随一であり、先代小さん(三代目)のごときは鳶いろ朽いろの芸風であつたゝめ容易に名人の花冠を与へられた幸福人とおもふ。流石に伊藤痴遊は「痴遊随筆それからそれ」の「講談と落語」の中では、先代小さんをば「落語としては慥に巧い方ではある」が、老若男女の描写はできず「三十前後の、少し調子の脱れた職人体」のものゝほか「使ひこなし得[#「なし得」に傍点]ぬ不器用な芸風」と評している。此は筆者も太だ同感で、小さんは多く上方落語に「芸」の呼吸を学んだと聞くが、まことにや、あの八さん熊さん体の男が「いえ……あの……まことに……その……エー何でやして」とモヅ/\するところと、「いえ……あの……ほれ……いえ……もし……その、ちがひまんので……あの、なあ、もし、旦那さん」と春団
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