と見せた、「くしやみ講釈」の講釈師が読み立てる『難波戦記』の修羅場はすべて、硝煙鼻を衝く新戦場の活写であつた、「青菜」で大工が一杯御馳走になり乍ら、我家の窮状を訴へるとき、陰惨な生活苦の地獄図を息苦しいまでに漂はせた(大ていの落語家が落までやつて卅分とないこの噺を彼は前半で四十分かゝる)、さらに/\「反対車」の早い方の俥が「ゆき[#「ゆき」に傍点]とちがふてかへりは目がくらんでますさかい。只、何事もおもはんと一心にお念仏を唱へられよ」かう叫ぶとき私は聴いてゐて死刑の宣告でも与へられた心地がした、「もう駄目だ」と心におもつた。小杉未醒氏の随筆に、故梅坊主の深川を踊るとき、上る衣紋阪アレワイサノサと指したら、五十間のなぞへ[#「なぞへ」に傍点]が見えてその料亭の畳、忽ちにメリ/\とめり込むがごときものをおぼえたとあるが、春団治の場合も正にこれであつた。
かうした点は、彼は、今の大島伯鶴の巧さに似てゐる、伯鶴は「三馬術」でトラツクがでて来たり、「一心太助」でシユウマイを出したりするもので、インチキのごとくおもはれてゐるが、「筑紫市兵衛」の雀の宮の武者一騎走り去る背ろ姿には濛々たる土埃の舞上
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