ギヤグも彼以外の誰が考へやう。現に、地味な芸風を以て知らるる桂米団治の「ふたなり」には、こんな表現は決してない。その指をかぞへるに「一イ二ウ三イ」とやらず「一《ひ》に二《ふ》に三《み》に四《よ》に」とゆくのも、へんに可笑しかつた[#「可笑しかつた」は底本では「可笑しかった」]。
A、B二人の男が、兄貴株のやうな男のところへ行く。先づBが口上を切るが、しどろもどろでどうにも分らない。代つてAがやることになり「退《ど》けそこを」と一喝して、「何やお前の喋りやうは」とさん/″\小言を云つたのち、「エー、さて」と口を切る。すると、こいつの口上が余計わからない。へんにモゴ/\、フワ/\、モヤ/\として、まことに神韻縹渺としてゐる。春団治、最も得意とするところで、此又、他に見られない手法であつた。
このモゴ/\、フワ/\、モヤ/\が、最前も云つた春団治独自の言葉の魔術で、これあつて「らくだ」の紙屑屋は世にも他愛なくあのばくち打にきめ付けられて、ツ、ツ、ツツーと滑り出すやうに二度も三度使ひにやられた。(その、何とも、気の毒な位の可笑しさ!)
「いかけや」と云ふ町内の悪たれ子供が大ぜいいかけやを取
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