地にありさうなねつい太い声は全く春団治特有のもので、谷崎潤一郎氏も「私の見た大阪及び大阪人」の中で、『悪く底力のある、濁つた、破れた、太い、粘り強い、映画説明者や浪花節語りのそれを想はせる声』と曾我廼家五郎の「声」を評した後で『落語の春団治などもあの地響きある声を出す』と云つてゐられる。さう、春団治の「エ、エー」は五郎の声帯で表現して想像してもらつたら、ほゞ原形にちかいものが、髣髴とさせられよう。
 言葉に於ても、呆れる許りの放胆さ嶄新さがあつたと云へる。
「ゐても立つてもゐられんたかて、こないしてるより仕様ない」(「猫の災難」)
 こんな大きな猫がでたと両手を一ぱいに拡げて見せるので「そんな大きな猫があるか」と相手が叱ると、「この手、うしろへ廻して小さうしてるがな」(「猫の災難」)
 自分が喧嘩に負けて頭から踏まへられ、積上げてある下水の泥の中へ、ニユニユニユニユツ(こんな表現を、彼はした!)と顔を突込まれ、やつとのことで顔を上げたら、自分の面形がのこつてゐたと云ひ、そのあとで曰く「いつて見なはれおツさん、あの泥のとこへ。あの顔よう私《わい》に似たるわ」(「喧嘩の仲裁」)
 いきなり
前へ 次へ
全15ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 容 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング