干した杏《あんず》の袋入りや、カチ栗を風呂敷へ包んだのや、なかにはお芋を持ってやって来るのもあったのにはおどろきましたね。つまりこれを興行が済んでから車へ積んで市場へ持って行き、お宝に代えてからはじめて私たちに支払ってくれるというわけなんですが。このときこうした田舎の珍しい場面をよく覚えておいたので、のちにそれが本職の落語家《はなしか》になってから「本膳」や「百川《ももかわ》」なんて田舎者の出る噺のときにたいへん役に立ちました。それにしても相変わらず私はそそっかしいんですね、このときあるお百姓がうちでこしらえた納豆だといって木戸へおいていったのをてっきり[#「てっきり」に傍点]甘納豆だと思ってムシャムシャとやり、すっかり皆に笑われてしまいました。
さてあまり志ん馬がほめ、事実、お客様方もまた志ん馬以上にほめたりするので、東京へ帰ると、とうとう本腰でやる気になり、すぐつて[#「つて」に傍点]を求めて落語家になりました。そのころ柳派で大御所といわれた本所二葉町の大師匠|談州楼燕枝《だんしゅうろうえんし》の弟子になって、燕賀《えんが》。私が二十五の年でございます。ところで、御成《おなり》街
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