もあれだけに演れるならぜひ毎晩一席ずつ演ってくれと言う。そこでこっちもいい心持ちんなって「金明竹《きんめいちく》」「たらちめ」と、いろいろ御機嫌を伺ってると、これがみんなワッワッと受けるんです。これもごく私のためには、いけなかった。
そのうえ、志ん馬の咽喉が治って今度は近くの八幡というところへ、二人《ににん》会で出かけていった。このときには毎晩二席ずつ演るので演題《やりもの》に困って、浄瑠璃の「仮名手本忠臣蔵」。あの大序の※[#歌記号、1−3−28]|嘉肴《かこう》ありと雖《いえど》も、食さじされば味わいをしらず――あすこから三段目、殿中の喧嘩場まで、本をそのまま素読みにして講釈のように演ってみたんですが、そうすると、また、これが受ける。あくる晩は四段目、五段目、六段目と演ってみましたが、しめてかかると判官《ほうがん》様や勘平の切腹では田舎の人たちがみんなポロポロ涙をこぼして聴いてくれるんです。とうとうしまいには真打の志ん馬のほうが私に食われ加減にさえなってきました。いよいよ、私のためにはいけませんでした。
ちょいとここで余談にわたりますが、この八幡の興行でお客様が木戸銭の代わりに
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