ので楽屋へ下りてまいりました。するとどうでしょう、いまの末広のお婆さん、御承知のたいそうやかましいお婆さんなんですが、あのお婆さんが世にもニコニコしながら御苦労さま御苦労さまとなんべんも私に言って特別に骨折り賃だと大きな紙包みをくれました。銀貨のすくないその時分に私の大切にしていた銀貨だがと言って五十銭銀貨一枚、しかもその包み紙には「大三治さんへ」と書いてあるのです。なんですこの大三治さんへてのはとたずねますと、お前さんは小三治どころじゃない、いまに出世をして大三治だろうとこう言ってくれ、しかもそれからはこの東京で指折りの末広亭が年に十二本柳派をかけるのですが、そのたんびに必ず私をつかってくれ、したがってだんだん私は暮らし向きも楽になってまいりました。そうして明治二十八年一月、そうちょうど日清戦争の連戦連勝というときで、ですから今夜のような晩にはいっそう私は思い出されてならないのですが、これも名高い日本橋の木原店《きはらだな》の寄席で私に三月、真打《とり》をとらせてくれるという話がふって湧きました。そのうえ、昔の師匠燕枝と新石町の立花亭のあるじが仲へ入ってくれまして、思いもかけない小さ
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