んの名前を、いまの師匠からもらってきてくださいました。師匠小さんはあなたも御承知のベラベラまくし立てる流弁快弁の人だったので、松本順先生がまるで小鳥がさえずっているようだとて禽語楼の亭号を考えてくだすったのですが、私は反対のムッムッとしたしゃべり口ですから柳家小さんと相成りました。ついでに、あばた面《づら》で音曲の巧く人情噺の達人だった初代小さんは、これは春風亭[#「春風亭」に傍点]小さんだったのでございます。重ねて申し上げますが、なににしても芸人はまず芸のこと、そうすりゃ人気なんてあなた、百里の道を遠しとせず、後から汗だくで追い駆けてくっついてきますよ。
三月、いよいよ日清講和談判というめでたいときに私もめでたく三代目小さんの看板を上げました。このときに魚河岸の今津、櫛田といったような頭立った方々が縮緬《ちりめん》の幕をこしらえてやるとおっしゃるから、それはいけません、私は貧乏ですからしじゅうほうぼうの寄席へその幕を掛けとおすことができず、ついその幕を米屋の払いやなにかにしてしまったりするといけませんからと、こう正直に申しましたら、芸人には珍しい正直者だとかえってそれが気に入られ、
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