で師匠燕枝承諾のうえで、あらためて禽語楼小さん師匠の門人となり、柳家小三治を名のりました。すると小三治になってまもなく、その頃の夜席はひと晩十人くらいしか出ませんで、したがってひとりが三十分くらいずつ演ったものなのですが、ある晩、人形町の末広で文楽に、前、申し上げた人の次の燕路、それに木やりの勝次郎がまだ梅枝で、この三人が続けて休席《ぬき》ました。こうなるとこの三人分、それに自分の分を合わせて、どうざっと演っても二時間足らずは一人でしゃべらなければなりません。あなたの前だが、落とし噺で二時間なんてのはありませんよ。強いて延ばしてやるとすれば、アーアーと途中であくび[#「あくび」に傍点]をくって味噌をつけるくらいが関の山でさあ。で、その晩の私は充分にまくら[#「まくら」に傍点]をふってこれが三十分、それから「子別れ」の上、中と演ってこれが一時間、まだ下へ入れば二十分や三十分あるのはわかっていますがそうまで永く演って御退屈をかけてしまってはなんにもならない。で、なかでワザとやめてしまって、アトはガラリ陽気に音曲を二十分。どうやらここで下りろの声も聞かないうちに、いい塩梅に後の人がやってきた
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