たゞ只管に涼風颯々と吹抜けて行く許りのその座敷の景色が、目に見えて来た。その、暗く涼しい座敷の真只中に、昏々と前後不覚に寝入つてゐる栄之丞の、わかく青白く美しい平顔《ひらがほ》が、春信ゑがくお小姓のやうなしどけない寝姿が、また、マザ/\と目に見えて来た。
 許りか、格子先にはさや/\と風に戦《そよ》ぐ孟宗竹が五、六本、その根方には毒だみが青白く花咲いてさへゐやう。
 云ふまでもない中田圃とは、今日の台東区浅草|千束町《せんぞくまち》から吉原への田圃のことだから、古川柳の所謂「国者《くにもの》に屋根を教へる中田圃」で、その栄之丞の住居の彼方には、青田越しにいま阿波太夫があとにして来た吉原の、屋根々々へ天水桶を並べた異色ある遊女屋の高楼が、背景をなしてゐることだらう。「当時遊里の周囲は、浅草公園に向ふ南側千束町三丁目を除いて他の三方にはむかしのまゝの水田や竹藪や古池などが残つてゐたので、わたくしは二番目狂言の舞台で見馴れた書割《かきわり》、または『はや悲し吉原いでゝ麦ばたけ」とか、『吉原へ矢先そろへて案山子《かかし》かな』など云ふ江戸座の発句《ほつく》を、そのまゝの実景として眺めることがで
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